聖人となった最後のカンタベリー大司教

聖人となった最後のカンタベリー大司教

初代カンタベリー大司教、聖人。597年ローマ教皇グレゴリウス1世の命でイングランドへの布教に赴き、一行はケント王国のサニット島に上陸。エセルバート王Ethelbert(552ころ―616。在位560~616)に迎えられ、布教の自由を得た。のち王自身も受洗。598年教皇との書簡による相談の結果、12の司教区を創設。布教にあたっては現地の慣習と伝統を尊重、ケルト系教会との抗争をしだいに克服していった。

カンタベリー大司教(カンタベリーだいしきょう、英:Archbishop of Canterbury)は、 イングランドのカンタベリー大聖堂を大司教座とするローマ・カトリック教会の大司教であった。

修道院建立の目的は幾つかありましたが、最も大きな目的は歴代ケント王及び歴代カンタベリー大司教の埋葬地にするためでした。

在位期間大司教名付記・それまでの経歴597年 - 604年5月26日*注1もしくは605年 アウグスティヌス *注1:通説。聖アンドレアス修道院長。在位中死亡。聖人。 605年 - 619年2月3日 ラウレンティウス 在位中死亡。聖人。 619年 - 624年4月24日 メリトゥス(英語版)(Miletus) ロンドン司教から転任。聖人。聖メリトゥス。 624年 - 627年11月10日 ユストゥス ロチェスター司教から転任。在位中死亡。聖人。聖ユストゥス。 627年 - 653年9月30日 ホノラトゥス(ホノリウス) 在位中死亡。聖人。 655年 - 664年7月14日 デウスデディトゥス(アデオダトゥス) 初のサクソン人大司教。在位中病死。聖人。 664年 ウィガード ウィタリアヌスによって指名。聖別前にペストで死亡。 664年 アドリアヌス ウィタリアヌスによって指名されたが、辞退した。 664年 - 668年 空位 668年 - 690年9月19日 タルソスのテオドルス 聖人。 693年 - 731年 ベルトヴァルト(Brihtwald) レカルバー修道院長。聖人。 731年 to 734年 Tatwin(Tatwine) カンタベリー大司教にして全イングランドの首席司教。聖人。 735年 - 740年 ノートヘルム(Nothelmus) 聖人。 741年 - 758年 カスバート(英語版) ヘレフォード司教から転任。聖人。 759年 - 764年 ブレグウィン 聖人。 766年 - 791年8月11日もしくは12日 イェンバート(Lambert; Genegberht; Jambert; Janbriht; Janibert; Lanbriht) 聖オーガスティン修道院長。聖人。 793年 - 805年5月12日 Æthelhard(Ethelhard) ウィンチェスター司教から転任。聖人。 805年 - 832年 ウルフレッド カンタベリーの修道士 832年 - 832年 Syred すべてを相続する前に死去。 832年 - 832年 Feologild(Theolgild) カンタベリー大修道院長 833年 - 870年 Ceolnoth カンタベリー首席司祭 870年 - 889年 Æthelred ウィンチェスター司教から転任。 890年 - 914年 Plegmund アルフレッド大王の書記官 914年 - 923年 Athelm(Adelmus) ウェルス司教から転任。 923年 - 941年 Wulfhelm(Wolfhelmus) ウェルス司教から転任。 942年 - 958年 Odo(Odo Severus; Oda the Severe) ウィンチェスター司教から転任。聖人。 959年 - 959年 Alfsige(Alfsin) 960年 - 988年 ドゥンスタン ロンドン司教から転任。 988年 - 989年 Athelgar(Ethelgarus) セルジー司教から転任。 990年 - 994年 Sigeric(Sigeric the Serious) ウィンチェスター司教から転任。 995年 - 1005年 Ælfric(Elfric; Aluricius) ウィンチェスター司教から転任。 1006年 - 1012年4月19日 Alphege(Ælfheah; Elphege) ウィンチェスター司教から転任。聖人。 1013年 - 1020年6月12日 Lyfing(Leovingus; Livingus; Elstan) ウェルス司教から転任。 1020年 - 1038年10月29日 Æthelnoth(Æthelnotus; Ethelnoth; Egelnodus; Ednodus) カンタベリー首席司祭 1038年 - 1050年 Edsige(Eadsige; Eadsimus; Eadsin) 聖人。エドワード懺悔王に戴冠した。 1051年 - 1052年 Robert of Jumieges(Robert Gemeticensis) イングランドから逃亡し、廃位された。 1052年 - 1070年 スティガンド ウィンチェスター司教。シモニアにより両司教位を剥奪された。 1070年 - 1089年 ランフランクス ノルマンディー公領カーンの修道院長。在位中死亡。聖人。 1089年 - 1093年 空位 叙任権闘争のため。 1093年 - 1109年4月21日 アンセルムス ル・ベック修道院長。在位中死亡。聖人。 1109年 - 1114年 空位 1114年 - 1122年 Ralph(Ralph d'Escures; Rodolphus; Ralph de Turbine) ロチェスター司教から転任。在位中死亡。 1123年 - 1136年 William de Corbeil(William Corbois; William Corbyl) 聖オシス修道院(英語版)長。在位中死亡。 1136年 - 1139年 空位 1139年 - 1161年4月18日 シオボルド・オブ・ベック(英語版) ベック修道院長。在位中死亡。 1161年 - 1162年 空位 1162年 - 1170年 トマス・ベケット カンタベリー助祭長。ビバリー大聖堂首席司祭。大法官。暗殺。聖人。 1174年 - 1184年 Richard(Richard of Dover) ドーバー修道院長。在位中死亡。 1185年 - 1190年 Baldwin(Baldwin of Exeter) ウスター司教から転任。十字軍に従軍中死去。 1191年 - 1191年 Reginald Fitz Jocelin ウェルス司教から転任。在位中死亡。 1191年 - 1193年 空位 1193年 - 1205年7月13日 ヒューバート・ウォルター ソールズベリー司教から転任。大法官。在位中死亡。 1205年 - 1206年 レジナルド(英語版) 副院長。修道士によって選ばれたが、教皇インノケンティウス3世に退けられた。 1206年 - 1207年 ジョン・グレイ(John de Grey) ノリッジ司教。修道士によって選ばれたが、教皇インノケンティウス3世に退けられた。 1207年 - 1228年7月9日 枢機卿ステファン・ラントン(英語版) 在位中死亡。 1229年 - 1231年 Walter d'Eynsham(Walter de Hempsham) 選出されたものの、ヘンリー3世および教皇グレゴリウス9世により退けられた。 1229年 Richard le Grant 1231年 Ralph Neville 1232年 John of Sittingbourne 1232年 John Blund 1233年 - 1240年11月16日 Edmund Rich ソールズベリーの聖職者。在任中死亡。聖人となった最後のカンタベリー大司教。 1240年 - 1270年7月14日 ボニファス(Boniface of Savoy) 在位中死亡。 1270年 - 1270年 William Chillenden(Adam of Chillenden) 選出されたものの、教皇により退けられた。 1273年 - 1278年 Robert Kilwardby 枢機卿となり、退位。 1278年 - 1278年 Robert Burnel バースおよびウェルズ司教から転任。選出されたものの、教皇ニコラウス3世により退けられた。 1279年 - 1292年 John Peckham(John Pecham) リヨンの司祭。フランシスコ会のイングランド管区長。在位中死亡。 1294年 - 1313年 Robert Winchelsey エセックスの助祭長。オックスフォード大学総長。在位中死亡。 1313年 - 1313年 Thomas Cobham ヨークの音楽主任司祭。選出されたものの、教皇クレメンス5世に承認されなかった。 1313年 - 1327年 Walter Reynolds ウスター司教から転任。大法官、財務相。在位中死亡。 1328年 - 1333年 Simon Mepeham(Simon Meopham) チチェスターの聖職者。在位中死亡。 1333年 - 1348年 John de Stratford ウィンチェスター司教から転任。大法官。在位中死亡。 1348年 - 1349年 John de Ufford リンカーン主席司祭。大法官。聖別式前に死去。 1349年 - 1349年8月26日 Thomas Bradwardine 在位中死亡。 1349年 - 1366年 Simon Islip セント・ポール大聖堂の聖職者。王の秘書官にして玉璽の保持者。在位中死亡。 1366年 - 1366年 William Edington(William Edendon) ウィンチェスター司教から転任。選出されたものの、管区から拒否された。 1366年 - 1368年 Simon Langham イーリー司教から転任。枢機卿となり、退位。 1368年 - 1374年 William Whittlesey(William Wittlesey) ウスター司教から転任。在位中死亡。 1375年 - 1381年6月14日 Simon Sudbury(Simon de Sudbury; Simon Tibold; Simon Theobold) ロンドン司教から転任。大法官。ワット・タイラーの乱の時に殺害された。 1381年 - 1396年7月31日 William Courtenay ロンドン司教から転任。在位中死亡。 1396年 - 1397年 トマス・アランデル ヨーク大司教。大法官。リチャード2世によって反逆罪に処され、追放。 1398年 - 1399年 ロジャー・ウォールデン 1399年 - 1414年 トマス・アランデル ヘンリー4世によって復位。在位中死亡。 1414年 - 1443年4月12日 ヘンリー・チチェリー セント・デイヴィッズ司教から転任。在位中死亡。 1443年 - 1452年5月25日 ジョン・スタッフォード バースとウェルズの司教。枢機卿。大法官。大蔵卿。在位中死亡。 1452年 - 1454年 ジョン・ケンプ ヨーク大司教。枢機卿。大法官。在位中死亡。 1454年 - 1486年5月30日 トマス・バウチャー イーリー司教。枢機卿 。大法官。在位中死亡。 1486年 - 1500年9月15日 ジョン・モートン イーリー司教。枢機卿。大法官。在位中死亡。 1501年1月 - 1501年1月27日 トマス・ラングストン ウィンチェスター司教。指名後五日後に死亡。 1501年 - 1503年2月15日 ヘンリー・ディーン ソールズベリー司教。在位中死亡。 1503年 - 1532年8月22日 ウィリアム・ウォーアム ロンドン司教。大法官。1531年にカトリック教会との分裂を受け入れた。 1533年 - 1556年3月21日 トマス・クランマー トーントンの助祭長。1547年からプロテスタントを公言。メアリー1世により焚刑死。 1556年 - 1558年11月17日 レジナルド・ポール 枢機卿。最後のカトリックのカンタベリー大司教。在位中老衰死。

ブランドンがアンに対して快く思っていないことで、ブランドンの従僕とブーリンの従僕がいさかいを起こす。ブランドンの従僕ペニントンは教会の中へと逃げるが、勢い余ったブーリンの従僕に殺されてしまう。この事件についてブランドンはブーリンの責任だと告げ、ブーリン家に対する憎しみをさらに増す。アンはヘンリーの子を身ごもり、腹もせり出してきた。医者や占い師にも生まれてくるのは男だと太鼓判を押され、ヘンリーとともに世継ぎの誕生を心待ちにする。ヘンリーはアンとの結婚を進めるべく、クランマーをカンタベリー大司教に任命する。

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ケント州カンタベリーにあるカンタベリー大聖堂は、イングランドで最も古く、最も有名なキリスト教建築の1つです。世界遺産の一部を形成しています。カンタベリー大司教の大聖堂であり、現在はイングランド教会の指導者であり世界的な聖公会の象徴的な指導者であるジャスティン・ウェルビーです。その正式な称号は、カンタベリーの大聖堂とキリストのメトロポリティカルチャーチです。

ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大司教は、「To Your Credit (あなたのクレジットへ)」という名の新しいプロジェクトについて、融資を受ける人を「実にひどい主人としてではなく、しもべとして」助けるために、教会やキリスト教系団体の全てのリソースを使うと述べた。

6世紀に設立された大司教にちなんで名付けられましたが、カンタベリー大司教の儀式的な即位議長である聖オーガスティンの議長は、ノーマン時代のものである可能性があります。最初に記録された使用は1205年です。

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