「携帯電話なんぞ掛けてくるなよ・立川談志」と書いてあります

三遊亭円丈「悲しみは埼玉へ向けて」 2002/1/16 (と)円丈も私の好きな落語家の一人です。もう昔、石野真子と大地真央が売り出したとき、上野鈴本演芸場をのぞいたら円丈が、石野真子と大地真央を怪獣に仕立てた奇抜な落語をやっていました。超ナンセンスなネタでしたが、あれほどバカバカシイものは誰もやらない。「グリコ少年」という新作で売り出し、次々と新作を発表していた頃だと思います。それ以来いつも円丈には注目していました。かといって、寄席にもあまり行けないので、落語を聞く機会は少ない。去年と今年は新春寄席中継に出ていて嬉しかった。一昨年は、初席に行ったら日記のネタで爆笑だった。初席にはぴったりのネタで群を抜いていた。その円丈が名作「悲しみは埼玉へ向けて」のCDを発売したのです。「悲しみは埼玉へ向けて」は北千住の駅で電車の発車をまつ一人の男性の独白みたいなもので、北千住から東武伊勢崎線沿いの町の様が描かれています。超地域ネタでこの辺りを知らない人にはひどく退屈するのではないかと思うのですが、私にはこの噺を聴くと切ない思い出が甦るのです。中学、高校と卒業するたびに、進路についてどうしたらよいかという悩みが、大きく広がっていました。その頃落語家になりたかったのです。兄たちのいなくなった家を守るため、そして高校入学と同時に大学病院に入院してしまった父と農業をやりながら家を守った母を安心させるため、農業を継ぐことになったわけです。一度は農業を継ぐと決意したのだけれど、冬の農閑期になるとまた、東京に行きたい、落語家になりたいという夢が芽を持ち上げてきます。そんなことが数年続き、立川談志師匠に手紙を書き、一週間ほど師匠の後をつかせてもらう許可を得ました。埼玉の八潮と言う町に住む兄のところに泊まり込み、数日ご一緒させていただいたのです。新橋のガード下の寿司屋や浅草の小さな食堂にも連れていってもらいまし、文化放送に行ったり、帝国ホテルのパーティーに出席されている師匠を待つため、東宝名人会に連れていってもらいそこで待たせてもらいました。紀伊国屋の談志ひとり会にも行きました。そこでは楽屋にはいないで客席に行くように言われ客席の端っこで聴いていました。銀座にある美弥というバーにも連れて行ってもらいました。都内の移動は電車が多く、その時の切符はお金をもらい自分で買いました。師匠は国鉄のパスを持っていました。事務所の「立川談志の会」と大きく書いてある車での移動もありました。師匠の田舎の深谷ネギが後ろにたくさん積んであって農村の香りがしたのを思い出します。師匠の後を数日間ではあるけれどつき歩いて、わたしは落語家にはなれないと強く感じたのです。たぶんこの一週間で落語家の夢をあきらめたんだと思います。落語家にはなれないけど、落語とかかわって生きていくことも出来ると…。それはご一緒したときの師匠の助言も大きく影響したと思います。毎日、東武線の草加駅から、地下鉄日比谷線直通中目黒行き電車で師匠の元に通いました。最後の日、兄の家に泊まり、帰りは東武伊勢崎線経由で、前橋、新前橋を経て沼田駅に帰りました。浅草発準急伊勢崎行きに乗った私は、少年の頃からの夢を東京に置いて来たのだと思います。田舎育ちの、内気な青年が、行動力も無く、積極的な行動もとれず、夢をあきらめた青春の一ページは、三遊亭円丈の「悲しみは埼玉へ向けて」を聴くと甦ってくるのです。そしていつもソットつぶやきます。「悲しみは埼玉へ向けて、そして群馬へ…か」と。

わたしは、一年に二度ほど師匠に農産物を送る。わが家で穫れたもので味に自信のあるものをほんの少しだけおくる。 それを美味いと褒めてもらえるとやたら嬉しくなる。またそれを大きな励みにしてきた。そのお返しだったりお歳暮だったりするのだが、いろんなものをいただいた。浴衣は、いくつももらったし、手ぬぐいは、二十本くらいはもらったろう。全部取っておけば大変な価値になったろうに、自慢しながらたいてい人にあげてしまった。浴衣は、母親に仕立ててもらってよく着ていた。昔、師匠の浴衣と雪駄で初めて買ったトラックで夜遊びにいったこともある。著作も何冊もいただいた。たいてい発売前に本屋に注文するので、同じ本が2冊になったりする。 その談志師匠から今日お米が届いた。師匠は、新潟に田圃を持っている。百姓は、米を作らなければだめです。わたしは、もう15年も米を作っていない。もう作り方もわすれた。それでは本当はだめなんですが。そんな意味で田圃を耕している立川談志師匠のすごさを感じる。この田圃というところがすごいところです。この米は、昔子どものころやった天神祭りの醤油飯といこうかと思っている。 上のシャレ札は、師匠のお米に貼ってあったものです。

講談社『オブラ』7月号長編インタビュー怪傑・立川談志 2004/6/9(と)この雑誌は「アージュ・ドール(黄金の年齢)を迎えた旬の男達へ」向けた雑誌のようです。結構な生活をしている人、つまり中流以上の人を対象にしているのだろう。この雑誌に我らが談志師匠が登場した。インタビューは吉川潮、写真加藤孝とある。記事は12ページにわたって、多くの写真と師匠の言葉で構成されている。ファンにとってはたまらない情報である。記事のトップ、見開き2ページにわたって大きな写真が出ているのだが、この写真の机の上に注目したい。とうもろこしがある。ま、それがどうと言うこともないのですが…。

談志師匠の携帯ストラップ 2001/11/29 (と) この携帯ストラップは、落語CDのおまけです。しかも書いてあることがふるっている。小判のような金色の板に次のように…。「携帯電話なんぞ掛けてくるなよ・立川談志」と書いてあります。裏には、山藤画伯の書いた、お馴染み師匠の似顔絵がある。

談志師匠の手紙 2004/3/25(と)私が今までで一番多く手紙を頂いた人は立川談志師匠です。交際していた女の人からのものも結構有りましたが、そう何年も続かない。談志師匠とは38年間続いているのですから。たいていは私からの返信ですが、時たま師匠から頂くことがあります。昨日も来ました。ライカギャラリ−(銀座松屋向)で開かれている師匠の写真展です。何を演じているところかわかる人は通、特上の通です。私も解らない。「黄金餅」かなー。だれかわかる方教えて下さい。

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