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もっとも、すかいらーくの会社としての原点はレストランではない。1962年4月4日に東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)にオープンした食料品店「ことぶき食品」、資本金200万円の有限会社が巨大企業の出発点である。
例えば、同組合の調査では2022年2月には残業が月190時間におよぶほど、長時間労働が状態化していたことが明らかになっています。しかし、勤怠記録がないこともあり、すかいらーくはこれらの論点については事実と認めていません。
飲食業界では1970年を「外食元年」と呼ぶ。これは同年にすかいらーくが1号店を出し、日本万国博覧会(大阪万博)でケンタッキーフライドチキンが出店、以後ファミリーレストラン、ファストフードの大規模チェーン展開が始まったことにちなんだものである。翌1971年にはマクドナルド、ミスタードーナツが日本で1号店を出すなど、外食産業が一気に勃興するのがこの時期。終戦から4分の1世紀、高度成長期を経て国民の生活は豊かになり、ライフスタイルも大きく変わろうとしていた。
すかいらーくの創業家である横川家は代々続く信州の名門士族で、商売とは無縁の家系であった。四兄弟の祖父・庸夫氏は1865年4月生まれで漢詩が得意な三兄弟の1人として「諏訪三俊」と称えられていたと、明治期の漢詩雑誌に記載がある。教員、税務官吏を経て1906年に諏訪郡北山村(現茅野市)の村長となった(鷗外の漢詩と軍医・横川唐陽:佐藤裕亮著、論創社)。
ファミレスでお昼ご飯を食べる、友達とお茶を飲むためにファストフード、コーヒーショップへ行く。日常的に利用する「外食」は、我々の生活の中に深く根付いている。その外食産業の草分けと言えるのが『すかいらーく』。1970年に東京都府中市に1号店を出し、その後チェーン展開して2017年にはグループ総店舗数3000、正社員6000人を超える巨大企業となった(同社ホームページより)。創業したのは長野県出身の4人の兄弟。外食産業をリードしてきたすかいらーくの誕生・発展の歴史を追うとともに、四兄弟の長兄であり代表取締役会長等を歴任した横川端(よこかわ・ただし)氏(86)のたどった人生と、21世紀の外食産業で生きる人たちへのメッセージを連載でお届けする。
庸夫氏の子で端氏の父・正二氏も教員であり、歌人としても活動し『アララギ』に多くの作品が掲載されている。こうした学究肌・文人としての血は端氏に強く伝わったようで、会社経営の一方で、句集の出版や東京交響楽団の会長を務めるなど積極的に文化活動に取り組んだ。自身も「うちは、過去をさかのぼってみると、商売をやった人がいないんですね。まさに文化の家系なんです。(それなのに)突然変異みたいに商売なのか不思議な面もあるんです」(すかいらーくの遺伝子を探る=横川端氏の社内での私的インタビュー:田口悟=聞き手)と語っている。三男の横川竟(きわむ)氏も「長兄(端氏)は文化人的というか、商売人とはひと味違う雰囲気だった」(日経MJ2016年7月22日)と取材に答えている。
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