人的資本会計
人的資本の高める方法の1つとして、HRテクノロジーの活用を挙げました。数多くのHRテクノロジーサービスがある中で特に人的資本を高める上でおすすめになるのが、タレントマネジメントシステムです。
これらの人的資本に関連する情報を整理したのが《図表4》である。興味深いのは、①人員構成の公表は進んでいる反面、②労働環境や③スキル・能力開発、④健康・エンゲージメントといった内容を明らかしている企業が少ないことである。この理由としては、自社における重要な人的資本の定義が定まっていないこと、個別に社内調査が必要で人的資本の把握にコストや時間がかかること、企業としては人的資本の詳細を把握しつつも、誤解を招きかねない情報の公表を控えている可能性がある、などがあげられる。
経済産業省を定義している人的資本経営の定義をご紹介します。
前述の通り、人的資本は貸借対照表に資産として記載されず、少なくとも金銭価値に換算して比較することは難しいという問題を抱えている。しかし人的資本の重要性が増す中で、企業に対する開示要求は高まっている。そこでこの問題に対応するため、企業が実際どのような情報開示をしているか確認していく。
人的資本に関する情報は、企業の作成する統合報告書30やウェブサイトに開示されるケースが多い。人的資本の情報開示の傾向について、統合報告書を利用する投資家の視点から見てみたい。ここでは、日本最大の投資家である年金積立金管理運用独立行政法人が情報量やわかりやすさなどを高く評価した9社の統合報告書を中心に確認した31。なお、各社において明示的に「人的資本」と記載していない内容に関しても、本稿冒頭で言及した幅広い人的資本の解釈を用いて評価した。
より直接的に、人的資本と企業価値の関係を明らかにした分析も存在する。Harvard Law Schoolの研究プログラムで公表された論文では16、企業による従業員へのトレーニング(人的資本の蓄積)と財務的な成果(総資本利益率、総資産利益率など)に関する先行研究を収集して分析を行っている。人的資本に関する研究は無数に存在するが、人的資本と財務的な成果の関係が検証できる論文を抽出したところ、36本中22本の論文で正の相関が確認されたとしている。そして、「従業員へのトレーニングが、個人の知識やスキル向上をもたらし、生産性やサービスの品質が上昇すると、最終的に売上高や利益の向上につながる可能性がある」との見解を示している。これとは別に、イギリス企業に対して行われた研究では、情報開示による違いを調べている。この研究では、積極的に人的資本の情報開示をする企業とそうでない企業を比較し、人材育成費用対効果(人材育成関連への投資額に対する利益額)では約2.6倍、営業利益率では33%の差が生じていることを明らかにしている17。
これまで人的資本の重要性を強調してきたが、ここで少し視点を変え、人的資本の中でも例えば個人の能力や経験を金銭価値に換算できるか考えてみたい。もし人的資本を金銭価値として可視化できれば、時系列での評価や他社との比較が容易となり、活用の余地が広がるだろう。そこで、まずは企業会計の枠組みを用いて、人的資本を金銭的に評価可能か検証する21。
「経営戦略との連動」「KPIの設定と可視化」は、人的資本経営の土台ですので、まずはここから着手することになります。
近年、企業価値を評価するため、人的資本を含めた無形資産が重要視されている13。例えば、世界最大級の株式時価総額を誇るアメリカのApple社に注目すると14、同社が持つ建物や設備等(有形資産)は、その株式時価総額(企業価値)の約2%である15。通常、企業は有形資産と無形資産を保有している。そして、企業価値は企業が有形・無形資産を活用して生み出す将来の利益やキャッシュフローをもとに評価される。一般的にいえばApple社の有形資産だけに着目すると、その企業価値を正当化するのは難しいだろう。Apple社の場合、人的資本を含む無形資産が企業価値を生み出す主要な源泉として評価されていると考えるべきである。
今回は、人的資本について解説しました。人的資本の重要性が高まる昨今、人的資本を高め、社内外に向けてその情報を開示していくことが重要です。経営戦略の実現、さらには企業価値の向上を目指して人的資本を高めていきましょう。
人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です。
従来は強制力がある実質的な情報開示の仕組みが存在しなかったため、国際標準化機構(ISO)をはじめとする、任意の情報開示フレームワークの策定が先行してきた。しかし、HCM等の働きかけもあり、2020年8月にSECは開示規則の改定を公表した20。この規則改定により、自社事業を理解するために役立つ重要な人的資本について、企業は情報開示を求められるようになった。アメリカにおける情報開示が進み、世界的な潮流となるとすれば、今後は日本企業にとっても対応を迫られる課題となるだろう。
このような、「モノ」から「サービス」が中心となる社会へのシフトが、経済の供給面から端的に言えば、「モノ」を生み出す工場や生産設備ではなく、「サービス」を提供する人材の重要性を高めていると言えよう4。また、最近の経済成長の要因も人材の重要性を裏付けている。2010年代のアメリカ経済を牽引したのは、サービス業の中でもIT産業を含む情報通信業であった5。日本でもデジタル化は経済成長に欠かせないとの認識が広まっており6、デジタル・トランスフォーメーション(DX)を推進できる人材や、人工知能(AI)等の新技術を活用して新たなサービスを作り出せる人材、言い換えれば深い知見や高度なスキルを持った(人的資本が蓄積された)人材が欠かせなくなってきている。
人的資本が注目されるようになった背景として、産業構造の変化、特に近年ではIT化・デジタル化の進展がある。日本の産業構造の変化を、付加価値の創出という観点から国内総生産(GDP)にて確認すると、第三次産業であるサービス業の比率が高まっていることがわかる《図表1》。2018年の産業別GDPの構成を2000年と比べると、農林水産業である第一次産業や、製造業・建設業といった第二次産業の比率が低下し、サービス業を中心とした第三次産業の比率が上昇している。より長期的にみても同様の傾向を示しており、社会の中心が、「モノ」そのものを作る第二次産業から、「サービス」提供を主体とする第三次産業へとシフトしている。
9社の統合報告書を確認すると、人的資本について定性的・定量的な内容が記載されている。このうち、定量的な情報として多く開示されているのは、総従業員数や従業員に占める女性比率である。さらに、デジタル人材の数や、離職率、社内調査に基づく従業員のエンゲージメントスコア32なども開示されている。